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後記

 父がよく次のように言う。

「長らく古戦場や史跡を訪ね歩いて痛感するのは、中国やドイツの実証主義史学の影響から『歴史に、もし、はありえない』とされた結果、敗者の真実は抹殺され、史実は勝者のものでしかなくなった。この壁を破らねば本当の歴史は生まれない。
 そのためには、正成や三成のように、義を目指して立ちながら、時運空しく死を目前にした敗将の凄烈無比な死生観の香気を充分に味わって、己自身の死生観を創造し、正邪の別を明らかにすることが大切で、単に末端の資料を並べるだけで歴史家とは言えない。」

 世の中強いモン勝ちやけど、負けた方の事情もよお聞いたらんとアカンで、勝ったのが正義の味方とは限らんで…と、いったところだろうか。
 本当の歴史とは、とか、真の歴史家とは、などという話は置いておこう。誰か興味のある人が定義してくれればいい。
 父の言葉のうちで私の心に触れるのは「義」。あるいはその周辺の思想。それが今のこの国では無効になり、解体されたようにみえる。
 私たち、あるいは若い人たち、中学生や高校生が、今、生きていく上で有効な指針がない、という現状がある。
 世紀末は再構築の時か。

【義】五常(仁・義・礼・智・信)の一つ。他人に対して守るべき正しい道。物事の道理にかなっていること。道義。
【道義】人のふまなければならない道。道徳。道理。
(国語大辞典(新装版)小学館 1988)

 今回余暇を利用して、伊賀、吉野、熊野から坂本城、関ヶ原、大阪陣、そして十津川一円を訪ねた。そこで地元の人々が、忠度、正成、光秀、三成、幸村らの遺徳を偲んで碑石を建立し、命日には供養を営んでいることを知った。
 石の前で手を合わせて黙想する人々に、勝った負けたの思いは、おそらく、ない。 


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