特集「結婚の理想と現実」 泡 沫 風来坊IN東京 '93/ 7/15 ふと気づくと暗い道を独りで歩いているのだった。 はて、私はいったい何処へ行くつもりだったかと考えても思い出せないのだ。 夜空に三日月が架かっている。星もちらちら瞬くが、どうやらかなり雲が出ているようだ。 歩き続けるよりほかない私はどこまでも果てしない夜道をとぼとぼと進んでいった。 柔らかな風が頬を撫ぜる。どこかでホウとみみずくが啼いている。 心細くなって、あたりを見回すと前方に明かりがあるではないか。 やれ有難やと急ぎそこまで行くと、どうやら小さな民家のようだった。 私は恐る恐る入り口の戸を叩いた。ハイ、と返事がして美しい一人の女が戸を開いた。 その美しい女は待っておりました、と言うのだ。 家の中から漏れる明かりに照らされ佇んでいた私を、早くお入り下さいと鈴をころがすような声で誘う。 ためらう私の手を雪のように白い柔らかな手が包んだ。 握られた手から全身に痺れるような甘い感覚が広がっていく。 手をつないだまま導かれた。 女は私を座らせ、自分も隣に腰をおろした。 艶やかな長い黒髪が私の肩に触れる程近い。 えもいわれぬ良い匂いがする。 ずーっと待っておりましたのに、と女はまた言った。 言いながら美しい顔を寄せてくる。 もうどこへも行かないで下さいね、貴方がいないと、私寂しくてたまりませんもの。 女は私の返事を待たず、紅をひいた赤い唇が私に触れそうになった。 待ってくれ、どういうことなのだ。 思わず私がそう言うと、女は身体を離した。 私を見つめ、哀しそうな眼をした。 切れ長で黒目がちのその瞳からひとしずく、真珠のような涙が流れた。 女は泣き、涙は幾筋も流れ続けた。 それは私の胸をしめつけた。 どうしたらよいか分からなかった。 気がつくと、私はまた夜道に立っていた。 相変わらずの路上に立っていた。ただ独りで、行く先も知らずに。 了 |