特集「気になる人」 択 一 風来坊IN東京 '93/10/11 「相変わらずだ」 私の問いにそう答え、彼はにやりと笑った。バーボンを一口飲んだ。 「相変わらず厳しい、か」 「彼女の性格だ」 「知ってはいた、ということか」 「もちろん。結婚したということは、恋愛をしたということだ。 恋愛をしたということは、相手を知ろうとしたということだ」 彼はやや冗談めかした口調でそう言った。 「恋愛のない結婚もある」 私は同じ口調で応じた。 「…どこぞの女性団体からクレ−ムがきそうだな」 「ああ、受付がパニックになるくらいな」 「目下のところは一人の女性との関係で忙しい。団体さんを相手にしている暇はないね」 私はバーテンダーにお代わりを注文した。 「相手を知るだけの力量がこちらにない場合もある。 恋愛時には見えなかった相手の性格が結婚後見えてくる、といったような」 「その質問はちょっと真面目に答えたほうがいいのかな」 私は笑った。 「飲んで真面目な話をすることは世間一般には多い。 だが、私は飲んだ席での真面目な話に、さほどの価値を置かない」 「では真面目な話はどこでするべきなのだ?」 私はまた笑った。(彼はマジメな、いい奴だ。) 「まあ、話を戻そう。さっきの答えは?」 「フム」 彼はグラスの中のバーボンを見つめた。グラスを持ち上げ、回した。 カラカラと氷どうしの触れ合う音がする。 「知る力量がなかったのは"結婚"が何なのか、ということだな。」 「もっと説明してくれないか」 「恋愛には何種類かあるだろう。たとえば、会った途端にお互いに夢中になる場合」 「ロミオとジュリエットだな、あるいは、トリスタンとイゾルデ」 「あるいは太郎君と花子ちゃんだ」 「夢がないねえ」 「最近現実がハ−ドでな」 「恋の種類、他には?」 「一方が激しく燃え、他方がその情熱に感応する場合」 「この人ってばこんなにもアタシの事を思ってくれてるのね、か」 「気持ち悪いからその声色はやめろ。 あと、一方が長く静かに燃え、他方がその情熱に徐々に感応していく場合」 「それって現実にはどれくらいある」 「物語としては非常に広汎に知られている」 「たとえば、『赤毛のアン』か」 「お前、それ読んだのか」 奴の目にからかいたそうな気配が見えた。 「俺は何でも読むんだ。他にも、『源氏物語』とか。アイツと桐壷だったかな」 「オッカサンへの想いか。恋愛の本質って話も面白そうだな」 「それはまた今度」 「なんで」 「とある人がちょっとな」 「どういうことだよ」 「まあまあ。グラスが空いてるぞ。もう一杯飲めよ。同じものか?」 「ウン、ああ」 私はジャック・ダニエルのオン・ザ・ロックスを2つ注文した。 かしこまりました、とバ−テンダ−が応え、氷を砕きはじめる。その音がカウンタ−に響く。 「で、どういうことになるんだ」 「つまり、恋愛にはいくつかパタ−ンがある。しかし結婚を考えるとなるとだ」 バ−ボンが届いた。 「まあ、一口やろうや」 「そうだな」 氷の音をグラスの中でこだまさせて私達は飲んだ。 「結婚を考えると?」 私は彼を促した。 「相手の性格はわかる」 「なぜ」 「この女と"一生暮らせるか"、と、俺は考えるからだ。"一生暮らしたい"は、俺に言わせれば恋愛だ。 もちろん、それで結婚してはいけない、と言ってるんではないがね。」 「"暮らせるか"、では醒めているようだね。 悪く取ると相手に対する想いの比重が軽いように聞こえる。 やっぱり、どこぞの女性団体からクレ−ムがきそうだな」 「醒めた、とは恋愛感情のことか。 恋愛感情は何時か醒めるものだっていうのはお前の持論じゃないか。 その後に始まるものこそ重要なんだって。お前、今日は何か変だな」 彼はスルドイ。 「では、"暮らせるか"という言葉だとして、どうすればその結論が出るんだ」 「1週間程二人で旅をするんだな。頭で考えたって駄目だ。 旅によってもっと理屈抜きのところで感じたものを優先するんだ。 できれば適当な期間をおいて2〜3回経験したほうがいい」 「なぜ、2〜3回なのだ」 「昔、バイオリニズムという考え方が流行ったろう。 あれだよ。俺達は皆調子のいい時と悪い時がある。男も女もお互いにな」 旅行ね。ふと私は思い付きで尋ねた。 「同居では駄目なのか」 「同居している男と女があえて結婚したがるというのはどういう訳だ」 「簡単だ。どちらかが結婚に対して抵抗を持っている」 「つまり、結婚したいのなら最初から同居などすべきではないのだ」 暫らく沈黙が訪れた。裏返していえばどうなるのか。 対偶と逆を考えるのは高校時代からの私の癖になっている。 「さっき、知る力量がなかったのは"結婚"が何なのかということだ、と言ったな」 「…」 彼はオイルライタ−で煙草に火を点けた。オイルの燃える香りが鼻先を掠める。 その様子を見て私は次の質問をあきらめた。彼がまだ答えを知らないと判断したからだ。 私は別の問いを投げた。 「彼女との間にストレスは」 「溜まった分は発散するようにしている。ドライブ、テニス、それに親しい友人との酒」 「彼女はなぜ中元・歳暮を送るのだ。お前と結婚したからか」 彼は胡散臭そうに私を見た。 「今日はまるでインタビュア−のようだな」 「気になるんでね、お前が」 彼は紫の煙を天井に静かに吹き上げた。 「以前からだ。近所付き合いや親戚との交際に彼女は熱心だ」 「それでは、形だけのものではなさそうだな」 「形だけではない。彼女はそうしなければ自分を保てない」 私はためらった。もう一歩踏み込めるか。ぎりぎりだ。煙草を探って間をとった。 その時、彼が察した。なぜ、という私の無言の問いを。 「生い立ちだよ、彼女の」 限界だった。これ以上は聖域だ。 またしばらく、静けさという時が流れた。 「歳暮・中元は送っているのか」 「そこは俺が歩み寄ると決めたことだからな」 「自分を変えたのか」 そんなことぐらいわかっているだろうという顔で私を見た。フム、今夜の私は狂言回しだ。 「そうじゃない。相手に合わせたのだ。 一人だったら今でも俺はその手のことは、ほとんどしないだろう。それが俺だ」 その通りだ。自分を変える、この言葉はしばしば使われるが、ほとんどの場合、内容が抽象的だ。 具体的に自分を変えるとはどのようなことを言うのか。 「相手の歩み寄りはあるのか」 「知っているだろう。俺は誰かに何かを望むことはほとんどない」 「お前は誰のいうことも納得できちまう。それはお前が世間の常識って奴に縛られていないからだろうがな」 「俺は世間的な常識ってやつが苦手なんだ」 そう言って彼はロックグラスに入ったバーボンを一口飲んだ。 私も自分のグラスを持ち上げた。 「前も聞いたよ」 呟きながら、彼の前途を祈った。幸多かれ。 |